Quantcast
Channel: はげまるのぶら~り日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1053

異国情緒あふれる港町  横浜(307)    昔の中華街の昔話  「ストーク・クラブ」  中華街

$
0
0

前回書いたチャン街(中華街)の「レッド・シューズ」
(現在の ウインドジャーマーの場所)
の斜め前あたりに
横浜の伝説のジャズクラブ「ストーク」. と言うジャズバーがあった

はげまるがまだ未成年の頃、アマチュアバンドとして
「レッド・シューズ」でベースを弾いていてた頃の話である

「レッド・シューズ」での演奏の合間 (休憩時間)には
よく「ストーク・クラブ」 の入口あたりにあった低い縁石に座って
外にかすかに漏れ聞こえてくるジャズピアノの音を
ぼ〜っと聞いていた

はげまるは石原裕次郎の映画の中の
おいらわ〜ドラマー
ヤクザな〜ドラマー
ぐらいしかジャズを知らなかったので

へ〜   
ジャズのピアノの音は、なんか心地良いなぁ
なんて聞いていたものである
さてと「ストーク・クラブ」は 「レッド・シューズ」の斜前と書いたが
正確な場所はどのあたりだったのかいな〜
なんて思いネットで調べてみたら

ば〜ん
ありましたよお客さん


ネットで「中華街とバー」で開いたら 「HAAPY AVENUE」
と言う記事が出てきた、その地図を載せますね






昭和37年頃の西門通り

地図の上の方が加賀町警察がある場所
番地の215の下あたりに「レッド・シューズ」
番地の217の下、5軒あたりに「ストーク・クラブ」
の名前がみられる

おまけで
番地の214の上4軒目あたりには
はげまるのブログでも書いた
ステーキの「ジャックス」の名前もみられる

地図を見ても分かるが道路の両側は
アメリカの兵隊さん相手のバーが
ずらりんこと並んでいて、
地図を眺めているだけで楽しくなってしまうではないか

るんるんるん








地図から考えると
「ストーク・クラブ」は1970年代後半か1980年代前半に
火事で焼失しているのであるが、
二階建てであったから
今の「ウインド・ジャーマ」の斜前あたりの
バー「アテネ」があるビルかもしれない


はげまるが「ストーク・クラブ」に初めて入ったのは
ピアノを始めた22歳頃で、
生のジャズピアノを初めて目の前で見て聞いた
感動は今でも鮮明に覚えている

店に入ると店内は薄暗く
「右側には凹字のカゥンターのがあり
中にグランドピアノ そしてウッドベース ドラム
のピアノトリオがジャズを奏でている

中二階もあり店の奥の壁際の階段から上がって行く
壁には素晴らしい油絵や肖像画が何点も飾られていて
下から聞こえてくるジャズの音と、人の話し声が混ざり合い
感動した記憶がある







なにしろ45年ぐらい前のおぼろげな記憶なので
よく覚えて無い
テナ事で、室町時代の屏風絵風の雲を入れて
マンガを書いてみた
実際店の中はもう少し小さかったと思うが
はげまるの脳ミソにはかなり大きく
素晴らしい空間として残っている


何度も通ったがその当時のピアニスト
松本ケンセイさんのプレイには

びっくりしたなぁ〜 もぅ

ジャズを聴き始めたばかりのはげまるは
松本ケンセイさんのプレイはもちろん
細身のハンアサムな顔、頭にはポマードを光らせ
まるで写真で見たことがある「ビル・エバンス」さんであった


ここでディスクユニオンが発行していた無料本
what,s new vol.6 1995/9/15 発行の中の
はげまるのマンガ
ビルエバンスを載せる事にした






尚 詩人 「ポール・ゲーハー」  とは
はげまるである
(この頃からアホだった)


最後にネットから見つけた参考資料を載せる事にしました

<およそ半世紀前まで、横浜中華街善隣門の通りに.
 「ピアノラウンジ ストーク」はあった。
 松本ケンセイは、その初代専属ピアニストだった


 およそ半世紀前、横浜中華街善隣門前の通りに
 『ピアノラウンジ ストーク』はあった。
 松本ケンセイはそのピアノラウンジの2代目の専属ピアニストだった。
 1960年代には
 130軒以上あったという外国人ホステスクラブのひとつだった
 『ストーク』は、
 1963年から経営者となったグレン氏によって、
 生演奏があるピアノラウンジへと変わる>



    チャン街の話しはまだまだ続くのである。



Viewing all articles
Browse latest Browse all 1053

Trending Articles