この前新聞を読んでいたら
日本の65歳を越えた高齢者が数が24%近くになった
そうである
つまり四人に一人は高齢者て感じである
こりゃ〜多数派だな
はげまるもその多数派に、最近仲間入りにしたのが
喜ばしい事である
(なにしろ高齢者を迎える前に亡くなった仲間が多々いるので)
ところで、この前 エジソンバンド の事を書いたら
ブログファンの何人かからメールが来たりした
いづれも、凄く面白かった、との御意見を賜わった
かなり前に昭和の貸し本屋さん、紙芝居さんとかを書いた時も、
かなり好評だったし
そ〜だ、昭和シリーズを書いてもいいなぁ
そこで 新しいシリーズとして
「昭和の時代」
副題 「昭和思い出シリーズ」を書いて行く事にした
まあシリーズといえば
トタン紀行(トタンシリーズ)も最近は書いて無い
トタン記事を書いて生活の生業(なりわい)としているワケでもねえし
それにシリーズは自然消滅するのが常である
今回のグリコの画像もインターネットから拾ったものである
はげまるが昭和の子供時代の頃の思い出を混ぜながら
話しを進めて行く事にする
![]()
これは大阪道頓堀川にある現在のグリコ看板
<参考資料>
隣接するビルの改装に伴い、1996年(平成8年) 1月21日に消灯し、
その翌日から一時撤去していた大阪道頓堀のグリコネオンが、
1998年(平成10年) 7月6日、約900日ぶりにデザインも新たに復活しました。
![]()
はげまるが子供の頃に見たオマケ付きグリコの
絵柄はこんな感じであった
一粒300メートルのコピーがいいなぁ
子供の頃はこれを見て
そ〜か 3粒食べればエネルギーが増えて
900メートルは早く走れるのか〜〜
なんて思ったものである
今の子供だったら
『へ〜〜んだ そんな子供だましのコピーを
よくぞ大人が考えたもんだなぁ』
なんてバカにするかもな
それと現在のマラソンランナーの顔つきと
古い看板の顔つきが違っている事に気がつくと思う
そこあたりを少し調べてみる事にする
グリコの絵柄の看板は何時頃出来たのであろうか
という事をまたしても
<参考資料>
(手抜きだな)
大阪道頓堀川、戎橋のそばに初めてグリコのネオン塔が立ったのは、1935年(昭和10年)。
高さ33mを誇るネオン塔は、トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化させ、
同時に毎分19回点滅する花模様で彩ったものでした。
当時としては型破りのネオンで、一躍大阪ミナミの名物となりました。
テナ感じであります
![]()
子供の頃に買っていた オマケ付きグリコの画像が見える
その下のあたりには、オマケに付いているオモチャの絵が書いてある
左側には「アサヒ靴」「森永ミルクキャラメル」の宣伝が見える
「アサヒ靴」の下に日本ゴム株式会社のロゴが見える
たしかコン○ームの箱にも書いてあったような気がする
「森永ミルクキャラメル」の下には14粒20円が見える
オマケ付きグリコは確か10円だったと思う
(すべてあやふやな記憶で書いているので
いいかげんに書いております)
「森永ミルクキャラメル」は真っ黄色の箱が輝いて見えた記憶がある
そう子供達にとっては、
え〜〜ぃ ずが高〜〜い 鼻が低〜〜い
ひかえおろ〜〜
の20円のお宝物高級品キャラメルであった
ところでオマケ付きグリコのマラソンランナーの顔はいつ頃
変わったのであろうか
ここでまた
<参考資料>
1963年(昭和38年)には3代目にバトンタッチ、噴水ネオン塔になりました。
12トンの水が、トレードマークの中心部にある150本の水車状のノズル
(高さ18m、横8m)から噴き出し、12色のランプ400個がそれを照らして、
きれいな虹の模様を描きました。
落下した水は、またポンプで上のタンクに戻す仕掛けになっていました。
はげまるの推測であるが1963年(昭和38年)以降にランナーの顔が
変わったのではないかいのぉ〜〜
(暇な人はおのおの調べてくださいね)
さてさてみなさん
今回一番書きたかった事は、あのグリコのバンザイのポーズである、
近所のおじさん達が競輪帰りに
グリコのバンザイポーズをしていたのを子供心に覚えている
競輪ではグリコのポーズは
お手上げのポーズ
大負けのポーズ
一文無しのポ−ズ(別名オケラのポーズ)
であった
はげまるの父も川崎競輪で負けて酔っ払って帰って来た時に
よくグリコのポーズをしてたっけ
![]()
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グリコのオマケ付グリコとアーモンドキャラメルは
値段は同じであった
アーモンドキャラメルの飴の方が
アーモンドのツブツブが抜群の歯応えがあり
オマケ付グリコの飴より数段うまかった
写真の明治キャラメルも独特の甘さがあった
噛むと ふにゃとなり歯にネチャネチャと絡み付き
幼心に
あ〜 こりゃ歯に悪いぞ〜
なんて思ったものである
オマケ付グリコのオマケの中身は
箱を開けるまで、何が入っているか分からないので
毎度、ワクワクしながら開けたっけな〜
![]()
先日、百円ショップでオマケ付グリコを買った
中にハート型の小さい飴が四つ入っていて
食べてみたらなんか気のせいか、
昔の味がした
![]()
オマケに付いていたオモチャ
わ〜〜なんとなんと御立派にも木製のヘリコプターだ
![]()
懐かしい昭和の楽しい
オマケ付グリコのお話しでありました。
日本の65歳を越えた高齢者が数が24%近くになった
そうである
つまり四人に一人は高齢者て感じである
こりゃ〜多数派だな
はげまるもその多数派に、最近仲間入りにしたのが
喜ばしい事である
(なにしろ高齢者を迎える前に亡くなった仲間が多々いるので)
ところで、この前 エジソンバンド の事を書いたら
ブログファンの何人かからメールが来たりした
いづれも、凄く面白かった、との御意見を賜わった
かなり前に昭和の貸し本屋さん、紙芝居さんとかを書いた時も、
かなり好評だったし
そ〜だ、昭和シリーズを書いてもいいなぁ
そこで 新しいシリーズとして
「昭和の時代」
副題 「昭和思い出シリーズ」を書いて行く事にした
まあシリーズといえば
トタン紀行(トタンシリーズ)も最近は書いて無い
トタン記事を書いて生活の生業(なりわい)としているワケでもねえし
それにシリーズは自然消滅するのが常である
今回のグリコの画像もインターネットから拾ったものである
はげまるが昭和の子供時代の頃の思い出を混ぜながら
話しを進めて行く事にする

これは大阪道頓堀川にある現在のグリコ看板
<参考資料>
隣接するビルの改装に伴い、1996年(平成8年) 1月21日に消灯し、
その翌日から一時撤去していた大阪道頓堀のグリコネオンが、
1998年(平成10年) 7月6日、約900日ぶりにデザインも新たに復活しました。

はげまるが子供の頃に見たオマケ付きグリコの
絵柄はこんな感じであった
一粒300メートルのコピーがいいなぁ
子供の頃はこれを見て
そ〜か 3粒食べればエネルギーが増えて
900メートルは早く走れるのか〜〜
なんて思ったものである
今の子供だったら
『へ〜〜んだ そんな子供だましのコピーを
よくぞ大人が考えたもんだなぁ』
なんてバカにするかもな
それと現在のマラソンランナーの顔つきと
古い看板の顔つきが違っている事に気がつくと思う
そこあたりを少し調べてみる事にする
グリコの絵柄の看板は何時頃出来たのであろうか
という事をまたしても
<参考資料>
(手抜きだな)
大阪道頓堀川、戎橋のそばに初めてグリコのネオン塔が立ったのは、1935年(昭和10年)。
高さ33mを誇るネオン塔は、トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化させ、
同時に毎分19回点滅する花模様で彩ったものでした。
当時としては型破りのネオンで、一躍大阪ミナミの名物となりました。
テナ感じであります

子供の頃に買っていた オマケ付きグリコの画像が見える
その下のあたりには、オマケに付いているオモチャの絵が書いてある
左側には「アサヒ靴」「森永ミルクキャラメル」の宣伝が見える
「アサヒ靴」の下に日本ゴム株式会社のロゴが見える
たしかコン○ームの箱にも書いてあったような気がする
「森永ミルクキャラメル」の下には14粒20円が見える
オマケ付きグリコは確か10円だったと思う
(すべてあやふやな記憶で書いているので
いいかげんに書いております)
「森永ミルクキャラメル」は真っ黄色の箱が輝いて見えた記憶がある
そう子供達にとっては、
え〜〜ぃ ずが高〜〜い 鼻が低〜〜い
ひかえおろ〜〜
の20円のお宝物高級品キャラメルであった
ところでオマケ付きグリコのマラソンランナーの顔はいつ頃
変わったのであろうか
ここでまた
<参考資料>
1963年(昭和38年)には3代目にバトンタッチ、噴水ネオン塔になりました。
12トンの水が、トレードマークの中心部にある150本の水車状のノズル
(高さ18m、横8m)から噴き出し、12色のランプ400個がそれを照らして、
きれいな虹の模様を描きました。
落下した水は、またポンプで上のタンクに戻す仕掛けになっていました。
はげまるの推測であるが1963年(昭和38年)以降にランナーの顔が
変わったのではないかいのぉ〜〜
(暇な人はおのおの調べてくださいね)
さてさてみなさん
今回一番書きたかった事は、あのグリコのバンザイのポーズである、
近所のおじさん達が競輪帰りに
グリコのバンザイポーズをしていたのを子供心に覚えている
競輪ではグリコのポーズは
お手上げのポーズ
大負けのポーズ
一文無しのポ−ズ(別名オケラのポーズ)
であった
はげまるの父も川崎競輪で負けて酔っ払って帰って来た時に
よくグリコのポーズをしてたっけ


グリコのオマケ付グリコとアーモンドキャラメルは
値段は同じであった
アーモンドキャラメルの飴の方が
アーモンドのツブツブが抜群の歯応えがあり
オマケ付グリコの飴より数段うまかった
写真の明治キャラメルも独特の甘さがあった
噛むと ふにゃとなり歯にネチャネチャと絡み付き
幼心に
あ〜 こりゃ歯に悪いぞ〜
なんて思ったものである
オマケ付グリコのオマケの中身は
箱を開けるまで、何が入っているか分からないので
毎度、ワクワクしながら開けたっけな〜

先日、百円ショップでオマケ付グリコを買った
中にハート型の小さい飴が四つ入っていて
食べてみたらなんか気のせいか、
昔の味がした

オマケに付いていたオモチャ
わ〜〜なんとなんと御立派にも木製のヘリコプターだ

懐かしい昭和の楽しい
オマケ付グリコのお話しでありました。